はじめての1人暮らし
ブログを、はじめて自分のは周りと比べて見にくいと思ったので変えていきます!
続きです。
車1台に布団、衣類最低限の必要な物を押し込んで母親に行ってきますと言ったら最初は自分が居なくなれば母親も楽になるから止めなかったのですが行く前に止められました。
母親からすれば18歳の子供が1人で県外に行くことなんて無謀ですよね、それでも行ってくるといい家を出ました。
家を出て父親にこれからそっちに行きますと伝えたら迎えに来てくれていて3歳から会ってなかった父親と8時間車の中で2人きりで千葉に向かいました。
初めて会って自分が18年間気になっていたなぜ母親と離婚したのか聞いたところ。俺が捨てられたんだよと言われました。
昔はやんちゃばかりしていて全く家に帰らず年に3回ぐらいしか帰らなかったらしいそれで母親は離婚を決意。父親に1円もいらないから離婚してくれ一生この子に関わらないでと言ったそうです。
なので父親は自分に連絡もできなかったと言いました、自分は母親に地元の先輩の所で働くと嘘を付いてしまい家を出る前には母親に私のことを裏切らないでね。と言われ父親と一緒にいることが罪悪感もありましたがこの母親に甘え続ける生活を変える為にはいい機会です。それに、父親がなんの仕事をしているのかさえ知らないまま父親と2人でいろんなことを話しながら向かいました。
千葉に着いて自分の家は築25年の1kでお世辞でも綺麗とは言えません、ここから自分の新しい環境の1人暮らしが始まりました!
コメント頂けたら嬉しいです。
今に至るまでの成り行き
2日間で15人の方に見て頂き嬉しいです!昨日の投稿ではすごく長くなってると思ったのですが読んでみたら大したことなかったのかな?もし、読んでいただけたら感想、アドバイス等頂けたら嬉しいです。
続きから、16歳から2年間働いてます5200円から7200円に昇給はしていましたが支払いも増え自分の環境を変えないとずっと母親に甘えると思い色んな求人県外への1人暮らしも考えましたが18歳が家を借りれる訳もなく人脈も無いのでとりあえずお婆ちゃんの家になんとなく行き仕事を辞めてなんか良い仕事ないかと聞くとお父さんに電話してみなさいと言われました。自分の父親は3歳の時に離婚して18年間話したことなければ会ったこともなく正直父親を恨んで生きていました。小さい頃から裕福なほうではなく母親は毎日仕事、自分は1人で家にいることが多かったので周りの家庭を羨ましく思うこともあって自分には父親が居ないことを悔しく思うこともありそんな父親に急に電話してみなと言われたので、とりあえず電話してみたのですがなにを話せばいいかも分からなくなりただ、今の自分の環境と状況を話しそうするとこっちにくるか?と言われて県外に行くことを決めました。当時県外に行くとは決めたものの当時の彼女、友人と別れるのはとても寂しいものはありました18歳なんて毎日遊びたい歳です。それでもやれることだけやろう地元に帰ったらバカにされる絶対成り上がって県外に出て良かったと行動して良かった悔いのないようにやってみようと思いました。初めての県外での生活頼る人は父親ぐらいその父親も今は家庭があり自分と関わることなんてほとんどないからと言われました別に今更一緒に住みたいと思いませんし一人暮らしには憧れていたので少し楽しみにはしていましたそして地元を出る前にいろんな友達が自分のために頑張れとメッセージ付きの動画を送ってくれたのは一生の思い出です。こんな自分の為に高校からの友達のはずなのに中学の仲間達にも声をかけてくれて見送りもしてくれてすごく仲間を持てて幸せでした。
今に至るまでの成り行き
まず、自分は高校を1年経たない内に3回も謹慎処分になってしまいました。若気の至りというやつですかね?笑 高校も真面目に行ってなく友達とずっと遊んでいました。母子家庭だったので母親も最初は怒っていましたが若かったので自分も母親の言うことも聞かず家に帰る日も少なくなって行き相手にもされなくなってしまいました。
高校を、辞めたいと母親に言うと泣き崩れてしまいました。母親は1人でも最低高校だけは卒業させたいと口癖のように言って毎日働いてくれていました。そのときは働いたこともない世間も知らないくそガキだったので高校に行かせるのがどれだけ大変かも分からず親不孝になりました。辞めた後も何をするかも決めておらず母親には通信高校を勧められましたが高校を辞めた後に一回高校行かないと決めたからもう働くと決め友人の父親の会社に入ることに決めました。日当は最初1日5200円最低賃金を下回り現場だったので肉体労働コンビニのバイトよりも少ないお金で働いていました。歳も16歳になり働いているのでバイクが欲しいと言い母親には18歳には車の免許取りなさいと言われましたが車には乗らないバイクだけでいいと言ってバイクの免許、バイクを買いました。ですが、18歳になりやっぱり車が欲しいと母親に言いましたがその時は呆れられました。
そんな最低賃金で毎日働き車に、バイクと身の丈に合わないものを買いローンが増え毎月の支払いが払えなくなっていき毎月母親にお金を貸してと本当に情けない男です。そうすると、母親は鬱病になってしまい2年間働けなくなってしまいました。自分はそれでもお金を貸してといい遊ぶことを我慢することなく毎日遊んでいました。朝帰ると母親は泣いていました。何故泣いているかは分かりませんでした自分は気にせず寝て起きるとまだ泣いていたのでこんな母親は見たことがなくどうしたの?と自分でも自分の事かなと分かりながらも聞くとお母さんの育て方が悪かったのかなと言われ自分は何も言葉が出てきませんでした。その日自分は色んなことを考えこの母親に甘え続ける生活を変えようと思い次の日来月で仕事を辞めさせてくださいと話しました。
ここまで読んでくれる人は居ないと思いますがもし読んでいただけてたらすごく嬉しいです。
続きはまた書きます。